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妻と抗生物質 
(ヨネヤマ記)


それは、妻が30代半ば過ぎて二人目の子供を妊娠したときのことでした。

子宮口近くへの着床で胎盤の厚みが足りなかったこともあったのでしょう。
妊娠6ヶ月ほどでしたが、早産のおそれがあるということで、出産するまで総合病院に長期入院することになりました。

冬だったこともあって、入院してまもなく、妻がノドが痛いと言い出しました。
そのときは、「イソジンでも出してもらって、よくうがいをしておきな。」としか言いませんでしたが、少し気にかかったことがありました。

ちょうど妻が入院する1週間ほど前に長男が風邪を引いて医者にかかり、ノドから溶連菌が検出されたということを聞いていたからでした。

それでも咽頭炎で溶連菌が出るのはそう珍しいことでも危険なことでもないはずです。
それで、そのことをドクターに言っておいたら、とアドバイスしようかとも思ったのですが、妻自身が看護士でもあるし、妊娠中の薬は安全と分かっていても不安なものですから、あえて言いはしませんでした。
当時(今でも)私は会社で抗生物質などの医薬品を開発し、製造を管理する立場にいたのですが。


それから数日が過ぎて、妻が発熱しました。
その発熱は病院の治療で治まったのですが、夜になって激しい腹痛が起こり、私も呼び出されました。

早期胎盤剥離と診断され、胎児が危険なため帝王切開手術することになりました。

取り出された赤ん坊のアップガースコアは、出生直後でわずかに1。
5分後でもまだ 4という完全な新生児仮死です。

なんとか蘇生できたものの即NICU(小児集中治療室)送りとなりました。

ドクターからは、「手術は成功しました。赤ちゃんは危険な状態でしたが、なんとか 蘇生できました。極小未熟児です。なんらかの後遺症が残る可能性はありますが、現段階では不明です。母親は今手術の後処理をしていますので、まもなく面会できるでしょう。」という説明でした。


それで待っていたのですが、なぜかいつまでたっても呼び出されません。

妻に意識の混濁があるということで、朝方になってICUに移動し、そのまま午前中には心停止し、帰らぬ人になってしまいました。


その時点ではなぜ妻がこんなことになってしまったのか検討もつきませんでした。

「医療ミス?」ということも頭に浮かびました。


数日後、検死解剖の結果を医師から説明を受けました。
全身の臓器にA群溶連菌の感染が認められ、菌血症、多臓器不全を起こしての死亡だったそうです。

溶連菌はNICUに入院中の次男の胃の中からも検出されました。
菌感染と抗生物質の投与で当時の次男の肝機能の検査値は1万を超えていましたが、 それでも次男は一命を取りとめることができました。

退院までには5ヶ月を要しましたが、大きな後遺症もなく、今では長男と元気に日々を過ごしています。


起きてしまったことはもう取り返しがつかず、あきらめるしかないのですが、 「もしあの日、溶連菌のことをドクターに話しておいて、抗生物質を処方してもらっていたら、今でもこの子達の傍らに優しいお母さんがいてくれたのではないか」そう 思われてなりません。

もっと前に抗生物質を使っていたらどうだったのか、あるいは手術時に感染症を防ぐために投与された抗生物質によって溶連菌が破壊され、毒素が大量に血液中に流れ込んだことが最悪の結果を招いたのではないか・・・。

それらはすべて仮定にしかならないのですが。


世間では抗生物質の乱用による耐性菌の発生が問題にされ、抗生物質の濫用は慎むべきだとされています。

それは正しいことです。

でも、かけがえのない命を失ってしまうことがないように、必要な時には薬は適切・ 確実に使ってほしいものです。


ヨネヤマさんのご投稿に深謝します。
そして
ヨネヤマさんの奥様のご冥福を、心よりお祈り致します。

ホーライ
2004/1/25


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